前回紹介した“世界の一流は「休日」に何をしているのか”で読書をしている一流が多いことが語られている。その中で読書家として知られているビル・ゲイツ氏、彼が読んだ本はベストセラーになるのですが、その紹介された本の中でも有名なのが本書。
“「事業経営やイノベーションの役割についての固定概念に喝を入れてくれた」と絶賛”
農業もまた、物流とは密接な関係です。
収穫した農作物をJAの選果場に運びこまれ、選果後に段ボール詰めされた農作物は
やっと今回の主役「コンテナ」に積み込まれ、貨物列車やトラックで運ばれ、日本中に行き渡ります。
そんな「箱」の誕生から現在に至るまでの物語で気になった点を、農家目線で語っていきたい。
イノベーションを起こすのは、往々にしてよそ者
“コンテナを船で運ぶというアイデアを実現させたのは、船のことなど何も知らない一起業家の獅子奮迅の働きである。”
世界の海を渡る「コンテナ」の生みの親は、トラック一台から陸運業を起業した22歳の青年。
「マルコム・パーセル・マクリーン」氏
そもそも、マクリーンは陸運業界の時点で頭が飛び抜けた存在であったのでしょう。
その中で僕が気になったエピソードを抜粋したい。
“当時、復員軍人は個人事業主になる場合に政府から低利で融資を受けることができた。そこでマクリーンは復員軍人にオーナー運転手になるよう奨め、トラックを買ってもらったうえでマクリーン運送に雇い入れたのである。つまり米政府は、知らないうちに低利でマクリーン運送に融資をした格好だった。”
そんなマクリーン氏が、当時の海運業の問題であった、危険で効率が悪く、人件費ばかりが掛かる、非効率な埠頭での荷物の積み下ろし作業に目を付け、「トラックをそのまま船に積み込めば効率よくね?」と海運業界に飛び込み、世界物流のイノベーションが始まるのである。
戦車の可能性を見出したのは海軍
このエピソードを読んで、頭に一つ浮かんだのが、戦車誕生の歴史である。
第一次世界大戦中のイギリスにて、農業用のトラクターに装甲をつける開発案が浮上したが、
当の陸軍は微妙な反応、何故か当時海軍大臣だったウィンストン・チャーチルが開発を推し進めて実用化させた逸話を思い出した。
イノベーションは非常識、少数派から生まれると言われる。
これらのエピソードを見て、その業界の常識に染まれば染まるほど、改革案を思い浮かばなくなってしまうのであろう。
農業という分野に軸足を置きつつ、興味のある分野に片足を突っ込み続ける。
農業界で少数派の栽培に挑戦し続ける、そんな考えを大事にし、実践していきたい。
イノベーション(コンテナ)と既得権益(沖仲仕)の対立
“船そのものは何千年も前から海を行き交っていたけれども、それに貨物を載せて遠国に送り届けるということになると、一九五〇年代にはまだ複雑で面倒な大事業だった。”
“大混乱をきわめる貨物をすべて積み込むのは、沖仲仕と呼ばれる港湾労働者の仕事である。”
“港の仕事では、雇用がひどく不規則である。ある日には生鮮食品を急いで荷揚げしなければならない。こんな日には、埠頭に集まった男全員が仕事にありつける。ところが、翌日になると仕事は何一つないという具合だ。”
“その特殊性を反映して、波止場には特有の共同社会が生まれた。”
“港湾労働者の置かれた状況を考えれば、彼らが好戦的になるのも自然の成り行きだと言えるだろう。世界中どの国でも、一致団結しないとやっていけないことを仲仕たちは知っている。もし抜け駆けを許したら、熾烈な仕事のぶんどり合戦が起き、賃金は餓死しかねない水準まで下がってしまうだろう。”
長々と沖仲仕(おきなかし)について引用してしまったが、本書ではまだまだ詳しく、ディープな世界が描かれているので、気になる方は是非、本書を手に取ってもらえればと思う。
日本の農業界も何だか似たように思える組織があるような気がする
そう、J A(日本農業共同組合)。
僕もJAきたみらいと呼ばれる農協のいち組合員です。
もちろん、当時の沖仲仕のような、劣悪な立場にいるのかと問われるとNOですね。
さすがに現代日本を生きていく上で、それなりの労働の対価を頂いているとは思います。
しかし、その現在の対価は先人たる諸先輩農家の方々の努力の礎の上に成り立っています。
祖父や父の若かった頃の話を聞けば
肥料の過剰使用で腐らせ
個人契約した業者に持ち逃げされ
豊作貧乏や雹などの天災で廃耕しなければならない年もあったそうな
そのような経緯もあり、地域の皆が暮らしていけるために、農協の元に独自の文化を築いてきた歴史が、沖仲仕たちの姿に似ていると僕は感じました。
コンテナの登場により、関税はあれど地球の裏からも農作物が行き来する現代。
限られた国土に、限られた労働力しかないこの国で、既得権益に縋る、非効率な方法を続けていると、いずれ訪れる『コンテナリゼーション』に飲み込まれるのだけは確かかもしれない。
コンテナが拡まった先に待ち受ける値下げ競争
“供給過剰 いくら需要が堅調であっても、これほど大規模な供給拡大を消化できるほどではなかった。そうなると、結末は一つしかない。海運業界は、値下げ競争という苦痛に満ちた局面に突入することになった。”
“コンテナリゼーション初の値下げ競争をくぐり抜けた海運業界は、すっかり様変わりしていた。独立系企業はほんの一握りに減っていたし、どの会社も海運の未来に何の幻想も抱いていなかった。”
“コンテナ輸送では値下げ競争は避けられないと誰もが理解したのである。景気が低迷して貨物量が減るか、あるいは輸送能力が供給過剰になるかすれば、必ず再発するにちがいない。そうなれば運賃は、輸送コストぎりぎりのところまで引き下げられるだろう……。”
“こうした状況で、船会社には「もっと大きくもっと速く」というプレッシャーがつねにかかるようになった。いざ価格競争となったときに、ローコスト体質の企業の方が生き残れる可能性は高いからである。”
どこの業界でも起こりうる需給問題
農業界も長年に渡る米価の不振により、淘汰と集積の波が起きれている最中だと思われる。
もう限界という農家の声がニュースで流れる裏で、時代の波をお越し、乗り切ろうとする
革新的な農業経営者が台頭していきているのもまた事実。
“先んずればことを制す──多くの海運会社はそう考えていたが、ことコンテナリゼーションに関する限り、それは生き残りの必須条件ではなかった。”
“二一世紀初めのコンテナ海運業界をみると、世界最大級と目される海運会社の多くは比較的参入が遅かったことに気づく。”
“こうした企業の特徴は、財務管理と経営手腕に秀でていることだ。古い体質の船会社が持ち合わせていない能力だが、コンテナ時代の船会社に求められるのは、海の知識よりも資金調達や情報システムの知識なのである。かつての船会社は政府から補助金を受けるのと引き換えに自国籍船の使用を義務づけられ、航路にも規制があった。だが潤沢な資金力を持つ新時代の船会社は、政府の補助金を必要とせず、したがって指導も受けない。国旗をはためかせ国の威信を重んじる海運業界にあって、最終的に生き残ったのは徹頭徹尾インターナショナルな企業だった。”
革新的な農業経営者も比較的参入が遅いように見受けられる
農業という分野は、長い年月を経て代々続く農家が大半であり、身の丈にあった営農を行なっていれば、まず食いっぱぐれる事はなかったと思う。
しかし、そのような家族経営的な営農の成長曲線はとても鈍い上がり方でしょう。
昨今メディアにも取り上げらるような農業経営体は、もはや家族経営的なレベルから脱却し
さらに海外を飛び回り日本の枠から飛び出た知見を学び帰ってきている様は
生き残った海運業界の姿と重なって見えるのである。
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